沿革|丸善に原点あり。

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  • 商品の原点あり
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「会社の原点あり」

日本で初めての「株式会社」組織

丸善は明治2年1月、横浜に輸入商社「丸屋商社」として創業。会社設立時に記した趣意書『丸屋商社之記』には、「設立のため元金を出した人を『元金社中(株主)』と名付け、労働力を提供する人を『働社中(従業員)』と名付ける」と記され、日本の実質的な株式会社第一号といわれています。そこには創業者・早矢仕有的の師である福澤諭吉がイメージした近代的経営による会社組織の影響を強く感じることができます。

丸屋商社之記

従業員研修の先駆け

現在の企業で当然のように行われている従業員研修の始まりも丸善から。丸善では、当時丁稚と呼ばれていた年少の従業員のことを「見習生」と呼び、昼間働いたあとに英語や簿記を教えていました。日本初の会社設立趣意書『丸屋商社之記』にも「我が社をもって商売学校とみなし、また我らが実際に業務を行う道場として何年にもわたって努力すれば、次第に商売の道を学び取れるはず」と記載し、会社こそが修業の場であると考え、従業員のレベルアップに力を入れました。また明治6年(1873)からは日本で初めての近代簿記講習も行っています。

生命保険の考え方を導入

生命保険の考え方を取り入れたのも丸善が最初です。明治7年(1874)5月に社内制度のひとつとして「死亡請負規則」を制定。従業員は在職中に一定の金額を積み立てし、万一死亡した場合には、相応の金額を残された家族に給付するというものでした。その考え方は後に阿部泰蔵(元丸善役員)によって設立された明治生命(現・明治安田生命)に継承されました。

横浜正金銀行設立の参加

日本銀行設立(明治15年)に先駆けること2年8カ月前(明治13年2月)に、福澤諭吉、大隈重信、そして早矢仕有的らは、日本の貿易振興のために「横浜正金銀行」の設立に参画。初代頭取には丸善の重役・中村道太が選ばれました。

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