丸善の歩み/文豪に愛された丸善

丸善ほど作家、学者、文化人に愛された書店はありません。ここでは丸善が登場する小説やエッセイなどを紹介し、いかに丸善が当時の人々に影響を与えたかをさぐります。

文学に登場する丸善 文化人の憧れの場でもあった・・・

『檸檬』梶井基次郎

「丸善の棚へ黄金色に輝く恐ろしい爆弾を仕掛て来た奇怪な悪漢が私で、もう十分後にはあの丸善が美術の棚を中心として大爆発をするのだったらどんなにおもしろいだろう」 『檸檬』(新潮文庫)より

梶井基次郎(1901-1932):小説家。
暗い不安の時代に生きる青年の倦怠を鋭い感受性と高い知性によって見つめた散文詩風の作品が現在でも人気を集める。


『歯車』芥川龍之介

「僕は丸善の二階の書棚にストリントベルグの『伝説』を見つけ、二、三頁づつ目を通した。それは僕の経験と大差のないことを書いたものだった」 『歯車』(岩波文庫)より

芥川龍之介(1892-1927):小説家。
『鼻』『羅生門』『地獄変』などの作品で知られ、短編小説に傑作が多い。死後、業績をたたえ「芥川賞」が設けられた。


『真知子』野上弥生子


「何度行っても飽きないには彼處ですよ。實際僕等が東京に出て來る唯一の樂しみは丸善にあるのです」 『真知子』(岩波文庫)より

野上弥生子(1885-1985):小説家。

漱石の薦めで文学を志す。『迷路』『秀吉と利休』など本格小説の秀作を残した。


『こころ』夏目漱石


「私は半日を丸善の二階で潰す覚悟でいた。私は自分に関係の深い部門の書籍棚の前に立って、隅から隅まで一冊ずつ点検して行った」 『こころ』(岩波文庫)より

夏目漱石(1867-1916):小説家。

『坊っちゃん』『我が輩は猫である』の著書で知られる明治時代の文豪。芥川龍之介、内田百●など弟子が多く、門下生が自由に集まれる木曜会を作った。 ●=門構え(門)の中に月。読みは「うちだひゃっけん」

『東京の三十年』田山花袋

「丸善の二階はまだ狭く、外国の本なども今のように沢山は来ていなかった。私はおりおりそこに行って、なるたけ安い本をさがして買ったり、欲しい本を註文したりした」 『私の最初の翻訳』より

「十九世紀の欧州大陸の澎湃(ほうはい)とした思潮は、丸善の二階を透かして、この極東の一孤島にも絶えず微かに波打ちつつあったのであった」 『東京の三十年』(岩波文庫)収録「丸善の二階」より

田山花袋(1871-1930):小説家。西洋の自由主義の影響を受け、『蒲団』『田舎教師』などを発表。日本文学に私小説的伝統を残した。

「雨降らぬ日は其処に出て、かの煙濃く、かをりよき埃及煙草ふかしつつ、四五日おきに送り来る丸善よりの新刊の本の頁を切りかけて、食事の知らせあるまでをうつらうつらと過ごしべく・・・・・・」 『呼子と口笛』より

石川啄木(1886-1912):詩人・小説家。
貧困・病苦と闘いながら作歌を続け、歌集『一握の砂』などを刊行した。

「田舎(いなか)の小都会の小さな書店には気のきいた洋書などはもとよりなかった、何か少し特別な書物でもほしいと言うと番頭はさっそく丸善へ注文してやりますと言った」 『丸善と三越』より

寺田寅彦(1878-1935):物理学者・随筆家。高校時代に漱石と出会い、文学に目覚める。科学者としての鋭い観察眼と豊かな人間性による随筆に定評がある。

文豪の愛用品 「丸善」の商品を愛した文化人

夏目漱石の「オノト万年筆」

明治40年(1907)、丸善は英国デラルー社の総代理店となり、デラルー社が誇る万年筆の名品「オノト万年筆」の輸入販売を始めました。オノト万年筆は書きやすさ、インクの出具合のよさに定評があり、夏目漱石、北原白秋ら明治・大正を代表する文豪たちに愛用されました。漱石の随筆『余と万年筆』にもオノト万年筆が登場、そのよさに触れています。
※写真左上からオノト、ウォーターマン、ペリカン

夏目漱石の「オノト万年筆」

宮沢賢治の「原稿用紙」

丸善の原稿用紙は、使いやすさを考えた目にやさしいセピア色の罫線、万年筆の書き味を考慮した紙質で、販売当時から多くの方に愛されてきました。特に明治から大正にかけて多くの文人に好まれ、あの宮沢賢治も『銀河鉄道の夜』にこの原稿用紙を選んでいます。

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