丸善の歩み|丸善に原点あり。

丸善に原点あり。へもどる

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「商品の原点あり」

早矢仕ライス®の考案


早矢仕ライス®

丸善(株)の名物といえば、「早矢仕ライス®」があります。ハヤシライスの命名には諸説ありますが、創業者早矢仕有的にちなんだものという説があります。有的はヘボンら当時日本を訪れていた外国人と親交があり、また西洋料理にもなじみがあったため、友人が訪れるとあり合わせの肉や野菜をゴッタ煮にして、ご飯を添えて振る舞っていたようです。やがてこの料理は「早矢仕さんのライス」といわれるようになり、評判が評判を呼んで、ついには「ハヤシライス」の名で街のレストランのメニューになったとか。こんなエピソードからも、早くに西洋文化に触れ、好奇心旺盛だった有的の姿が浮かんできます。現在、丸の内本店、日本橋店等の併設カフェでは、有的にちなんだこの料理を「早矢仕ライス®」の名で提供しております。

万年筆と名付け、輸入販売を日本で初めて開始


オノト万年筆広告

万年筆は明治17年(1884)、丸善が初めて輸入販売を開始。「カウスのスタイログラフィックペン」というもので、軸先に針が少しのぞいていて、紙に軸先をつけると針が引っ込み、周りからインキが流れ出るというものでした。当時の売り場担当者だった金沢井吉がそれに惚れ込み、彼の通称が「万吉」であったことから、スタイログラフィックペンのことを「万吉筆」または「万さんの筆」と呼ぶようになり、いつしか「万年筆」になったという説があります。ちなみに現在のような「Fountain pen(泉式)」を輸入したのは明治28年(1895)、米国製ウォーターマン万年筆でした。

理科年表を発売

大正14年(1925)から続くロングセラーといえば「理科年表」。科学に関する全データが1冊にまとめられ、研究者はもちろん理系学生、理科教育関係者、サイエンスライターまで幅広く愛読されています。 当時の日本は、国を挙げて科学教育の振興に努めており、科学分野の基礎となる資料・数値情報を集め、国民に広く普及させることを目的に、国立天文台の前身である東京天文台が編纂し、丸善が発売したのが始まりです。太平洋戦争での戦局が厳しくなった昭和19年から戦後の21年までの3年間は休刊、昭和22年から名実ともに丸善が発行所となりました。毎年11月末に改訂版を発行しています。また、理科年表WEB版も発売しています。

インキの製造販売


アテナインキ製造風景(大正期の駒込工場)

創業間もない頃、学校や学生の増加に伴い、インキの需要も増大。しかし輸入インキは高価すぎ、家内工業で作られたインキには粗悪品が多かったことから、明治18年(1885)に現在の日本橋店の敷地内で「丸善工作部」がインク製造を開始しました。工作部製のインキはしばしば博覧会等に出品し賞を受けて、のちの「丸善インキ」「丸善アテナインキ」として一時代を築く商品となりました。

英文タイプライターを初輸入


ウェリントンタイプライター

丸善が明治期に輸入した事務器械のひとつに英文タイプライターがあります。明治33年(1900)にウェリントンタイプライターNo2を発売し、日本での本格的な普及がスタートしました。当時、小学校教諭の初任給が約11円だったのに対して、ウェリントンタイプライターNo2の価格は135円! にもかかわらず発売以来10年間ベストセラーとなり、閉店後に行った習得のための教室には希望者が殺到したというエピソードも。

大英百科全書(エンサイクロペディア・ブリタニカ)を販売


内田魯庵

明治35年(1902)には『大英百科全書(ブリタニカ/第9版全25巻)』の予約販売を開始。非常に高額な商品でしたが、伊藤博文や後藤新平、新渡戸稲造、徳富蘆花、犬養毅など政治家や文化人が先を争って買い求めたといいます。その陰には当時、學鐙編集長だった内田魯庵による販売アイデアがありました。新聞の全面広告掲載や書籍では初めてとなる月賦販売方法を採用するなど、それらが『大英百科全書』の販売を大成功に導きました。(3ヶ月の予約者総数1125)

商品券を考案

現金と同じように使える商品券は贈答品としても人気が高いもの。明治4年(1871)、社員のための積立預金組合を設立し、社用切手を考案。これが現在の「商品券」の元祖といわれています。その後、明治31年(1898)には、横浜丸屋書店と薬店で共通に使える「商品切手」を発売。商品券の考えが一般にも広がっていきました。

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