丸善雄松堂

言葉で知る丸善雄松堂

進取の精神

日本初の株式会社組織

福澤諭吉が日本に持ち込んだ「株式会社」のアイディアを日本で初めて実践。1869年1月1日、福澤の門下であった早矢仕有的は、(福澤の勧めにより)従来の世襲制度ではなく、企業の永続を優先し、適材適所の人材配置によって事業を進める組織運営を採用することを決意。丸屋商社の設立趣意書「丸屋商社之記」により、出資者と従業員を区別する企業が誕生しました。

原文・丸屋商社之記 [PDF:1018KB]
現代語訳・丸屋商社之記 [PDF:27KB]

創業者に由来

早矢仕ライス®

ハヤシライスの命名には、創業者早矢仕有的に由来するという説があります。外国人と親交があった有的は、西洋料理にもなじみがあり、友人が訪れるとあり合わせの肉や野菜をゴッタ煮にして、ご飯を添えて振る舞っていたといいます。やがてこの料理は「早矢仕さんのライス」といわれるようになり、評判が評判を呼んで、ついには「ハヤシライス」の名で街のレストランのメニューになりました。※諸説あり

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日本最古のPR誌

學鐙

1897年に創刊し、現在まで続く日本国最古のPR誌『學鐙(がくとう)』。創刊時から、広く日本の文化に寄与し、世界の文化受容の窓口となるという一貫した編集姿勢を持ち、一企業のPR誌を超えて学界・言論界の中で育まれていきました。初代編集長は内田魯庵。坪井正五郎・坪内雄蔵(逍遙)、夏目漱石・志賀重昴・森林太郎(鷗外)・井上哲次郎をはじめ、日本を代表する執筆者が名を連ね、明治・大正・昭和・平成・令和の五代にわたり、文化を映す鏡となっています。
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自ら率先して学ぶ

丸善夜学校

1905年頃から、営業を終えた後、寄宿舎で従業員のために「夜学」を開始。先⽣に東京帝国⼤学の学⽣を招き、英語や簿記を教えました。また、ポストグラヂュエート・コースを設け、優秀なものを選抜して英語学校・商業学校の夜間部に通学させ、⻘年社員奨学の道を拓きました。これが、現代における「社員研修制度」の始まりです。多くの学ぶ⼈を⽀えた丸善は、従業員⾃らの学びも⼤切にすることで成⻑してきました。

丸善に原点

万年筆

1884年頃、⽇本で初めて万年筆を海外から輸⼊。当時「スタイログラフィックペン」の名で輸⼊された商品の売り出しに⼒を⼊れた丸善の店員・⾦澤井吉の通称が「万吉」だったことから万年筆と名付けられました。以降、数々のブランドの万年筆を紹介したが、イギリス製の「オノト万年筆」は、晩年の夏⽬漱⽯も愛⽤したとされる売れ筋商品で、1⽇に100本以上売れることもあったといいます。

赤煉瓦造りの知の空間

文豪に愛された
「丸善の二階」

まなびの空夏⽬漱⽯の『こころ』や、芥川⿓之介の『⻭⾞』に登場する「丸善の⼆階」。これは1910年に完成した、⾚煉⽡造りの⽇本橋店2階洋書売り場のことです。⽇本鉄⾻建築の先駆者・佐野利器によって設計されたモダンな建築の2階は、地位や⾝分の差別なく、集う⼈びとが⽂化と出会い、本を⾃由に鑑賞・批評できる知の空間でした。

最古の活版印刷本

グーテンベルク
「四十二行聖書」

世界に48冊しか残っていない最古の活版印刷物として知られるグーテンベルクの「四十二行聖書」。1987年にニューヨークのクリスティーズで行われたオークションで、丸善が490万ドルで落札(支払額は日本円で当時7億8千万円)し、アジアで初めて所有。その後、展覧会などで広く一般へ公開し、その価値と美しさを多くの人に届けました。
※現在は慶應義塾図書館所蔵

知を鐙す

丸善雄松堂の誕生

2016年、丸善は同じ丸善CHIホールディングスグループの雄松堂書店と経営統合し「丸善雄松堂」になりました。創業以来、さまざまな知識・文化の架け橋となるべく腐心してきた丸善。そして、古書店にルーツを持ち、洋古書を中心とした国内外の知的文化遺産を提供し過去と未来をつなぐ架け橋として事業を展開してきた雄松堂書店。ふたつの橋はつながり、未来に向け、さらに大きな橋が生まれようとしています。