2021年06月13日
[LEARN 03]
インキ工場の様子
創業間もないころの日本では、学校と学生の増加に伴いインキに対する需要が急速に高まっていた。しかし当時の輸入インキは高価すぎた。そのことに不満をもった安井敬七郎は、西洋のインキを参考に、自ら化学・工学の研究をかさね、1878年に独自のインキを発明した。
1885年、丸善は安井を社員として採用し、安価で良質なインキを多くの人々に届けようと考えた。安井を迎え入れた早矢仕有的は日本橋店の奥にあった旧自宅を工場にあて、青・黒・赤の三種のインキを製造させた。その後社内に「工作部」を設置して開発を続け、1917年には「丸善アテナインキ」を発売。知識の女神から名をとったこのインキは飛ぶように売れ、丸善の一時代を築く商品となった。当時賑わっていた駒込工場の様子を、高村光太郎が「丸善インキ工場の女工達/君達は素直だな」と詠んだ詩が残っている。
新しいものを自ら学んで取り入れようとする姿勢は、丸善の「なんでも自前主義」につながり、発展の礎になっていった。
1885年(明治18年)