2022年04月17日
[ORGANIZE 47]
多くの人に「書店」だと認識されている丸善は、その実、百五十年の歴史のなかでさまざまな企業を取り込みながら離合集散を繰り返してきた。まずは書店と薬屋から始まり、従業貝の親戚が経営する店舗を買収。明治時代に薬の事業は分社化し、のちの丸善薬品産業として独立。医師でもあった早矢仕有的が勤務していた横浜黴毒病院は横浜市立大学医学部の基礎となった。
日本で初めて生命保険を導入したのも、実は丸善だった。いまや丸善と一見関係なさそうに見える明治安田生命も、もともとは丸善役員がつくった組織だ。さらにはデータベース事業のKMKデジテックスも、丸善の離合集散の過程で生み出された企業である(のちに富士通系列のジー・サーチへ事業譲渡)。
丸善は単一の企業ではなく、複合的で、かつ流動的であり続けてきた。時に未知の領域を取り入れ、時に分離しながら動き続けたからこそ、いまの丸善がある。固定観念にとらわれず、さまざまな遺伝子を取り込みながら常に流れるように成長していくことこそ、丸善が丸善たる由縁なのだ。
2019年(平成31年)