2021年06月27日
[PRODUCE 05]
漱石のエッセイが掲載された『万年筆の印象と図解カタログ』
かの夏目漱石と丸善は、切っても切れない関係にある。漱石が丸善の企業PR誌『學鐙』の明治38年1月号巻頭で発表した随筆風の作品「カーライル博物館」は、事実上の雑誌デビュー作となった。同時期にかねてより縁のあった『ホトトギス』に「吾輩は猫である」、『帝国文学』に「倫敦塔」を発表している。
それまではもっぱら「英文学者」や「俳人」として知られていた夏目金之助(漱石)にまっ先に注目したのは、当時の『學鐙』編集長、内田魯庵だった。その才能を見抜き、漱石の文壇における知名度をあげるべく掲載したのが、「カーライル博物館」だった。
『學鐙』は漱石のみならず多くの作家が活躍する舞台となったが、とりわけ漱石はその後も丸善と親交を深めていった。「こころ」をはじめ漱石の作品中に丸善の名が挙がることも珍しくなく、魯庵が丸善の輸入する万年筆「オノト万年筆」に関するエッセイを依頼したこともある。才能を見抜き世に送り出す、魯庵は稀代の名プロデューサーだった。
1905年(明治38年)