2021年08月08日
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1950年代のショーウィンドウ
明治中期より三越をはじめとする百貨店が、西洋式の新たな広告ツール「ショーウィンドウ」を取り入れた。丸善も先駆けて導入し、独創的な表現で話題を呼んだ。とくに大正期の美術運動「MAVO」に参加するアーティストだった大浦周蔵は、丸善の社員でもあり、斬新なショーウィンドウを数多く手がけた。
幼い頃の大浦少年は洋画本に強い憧れをもち、恐る恐る丸善に足を踏み入れては、食いいるように見つめていたそうだ。小学校卒業後すぐに採用試験を受け、丸善に入社。昼は仕事に、夜は英語の勉強をしながら洋画の創作に打ち込み、二科展にも入選した。丸善は大浦の努力を称賛し「店の顔」であるショーウィンドウ制作を一任することに決めた。丸善に輸入される最新の美術書からインスピレーションをうけたディスプレイは、前衛的かつ魅力的で、衆目を集めた。
残念なことに大浦は三十九歳の若さで他界してしまったが、彼の才能を早くに世に出せたことは誇りでもある。現在も空間演出の事業を行っている丸善だが、その精神は、このひとりの若きアーティストにも繋がっている。
1923年(大正12年)