2021年09月05日
[CULTIVATE 15]
美術展の様子
戦後、被災した本社ビルの再建に奔走した八代目社長・司忠(つかさただし)。彼は尋常小学校卒業後に見習生として入社し、たたき上げとして類まれな商才を発揮したが、一方、天性の芸術愛好家でもあった。
1947年、木造二階建ての社屋を落成する記念として丸善美術部が誕生した。司は創設に際し、「復興途上にある首都に、文化国日本再建の一翼を担って、微力ながら美術文化昂揚に資し度く、今般丸善再築とともに同所所内に丸善美術部を開設いたしました」と記している。
当時、東京の被災建物の回復はまだほとんど進んでおらず、美術部の設置は画壇から歓迎された。日本画壇からの申込を受け、開店記念の「新作日本画展」を開催。鏑木清方(かぶらぎきよかた)、上村松園(うえむらしょうえん)、福田平八郎、前田青邨(せいそん)、奥村土牛(とぎゅう)など錚々たる画家が出展した。その後、自ら主催する洋画の展覧会を「梟会」と名づけ、毎年開催をつづけた。人々の生活にまだ余裕がない時期にも、美術を通じて日本を豊かにしたいという司の思いが、芸術家や美術ファンにも希望を与えた。
1947年(昭和22年)