2021年12月19日
[DELIVER 30]
帽子メーカーの広告
1912年7月30日、明治天皇が崩御した。日本全土が悲しみに包まれるなか大喪の礼の準備は進められたが、ここでひとつ大きな問題が生じた。当時一般の人々は礼服をもっていなかったため、急いでこれらを調達しなければならなかったのだ。丸善は礼帽として「英国製シルクハット」の受注をはじめた。
内田魯庵のコピーで「空前の祭儀に列して、礼帽らしくも無き礼帽を戴くことあらば、大官紳士の面目に関すること無きや」と広告を打ったものの、在庫は豊富ではなく、ロンドンから取り寄せねばならない。しかも9月13日の大喪の礼までわずかな時間しかない。シベリア鉄道を使って大陸を横断すれば間に合うとふんだ丸善は、大急ぎでロンドンへ従業員を派遣し、どんな人にも対応できるよう、さまざまなサイズのシルクハットを買い付けてきたのであった。
大喪の礼には、欧米からも多くの王族や大使が参列した。明治維新以来、西欧のスタイルを取り入れることで日本の発展に貢献してきた丸善にとって、この日までにシルクハットを国民に広く届けることは、重要な意味をもつことだった。
1912年(明治45年)